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2008年10月9日〜11月24日
From Nagoya





1.旅の始まりは海から
2.四川再び。そしてラサ断念
3.カトマンズ滞在
4.エベレスト・トレッキング その1「1杯のミルクティー」
5.エベレスト・トレッキング その2「高山病」
6.エベレスト・トレッキング その3「高山を歩く」
7.エベレスト・トレッキング その4「いざ、カラ・パタールへ」
8.エベレスト・トレッキング その5「帰路、そしてルクラで足止め」
9.文化遺産と自然遺産
10.ポカラから南へ
11.インド、「バラナシとムンバイ」
12.2つの石窟、旅の終わりも海より
13.おまけ「トレッキングについて」








5.エベレスト・トレッキング その2「高山病」

「朝6時に起きる。何だか疲れがとれたかどうかよく分からない状態だ」
ナムチェの次の地点、タンボチェに向かう日の朝の日記にはそう記されていた。今思えば、この時点で体が何かサインを出していたのかもしれない。

07:30出発。ナムチェの街は、早朝、日が当たらないので寒い。歩いていても日陰の場所では非常に寒く感じる。30分ぐらいしてようやく体が温まってきた。何とか歩けそうだ。
ナムチェの街を越えると、しばらく楽な道が続く。それ程登りはないし、道の状態も悪くない。午前中なので風も少ない。そして今日も有難い事に素晴らしい快晴。トレッキング中、というよりはネパールに来てから曇った日が一日もない。1年で一番いい時期なのだが、ここまで素晴らしい天候が続くとは思ってもいなかった。


素晴らしき快晴!



前半の景色も文句なし。昨日シャンボチェから見ていたエベレストやローツェといった名峰を、目の前に仰ぎながらのトレッキング。右手にはカンテガやタムセルク、そしてアマダブラムといった、これまた秀峰が目を楽しませてくれる。山肌は秋の為か紅葉なのかわからないが、オレンジ色の葉をつけた木々も見える。素晴らしいトレッキングになりそうだ。


エベレストを眺めながらタンボチェへ向かう カンテガ(左:6779m)とタムセルク(右:6608m)
カンテガ(左:6779m)とタムセルク(右:6608m)
アマダブラム(6856m)
アマダブラム(6856m)
エベレストを眺めながらタンボチェへ向かう


しばらくすると道が下りになってきた。谷に向かっているようだ。気持ちよく歩けるがこの先に登りがあると思うと少し怖い。
ナムチェから2時間半、プンギに到着した。川も流れており、ここが一番下だと分かる。さて、いよいよここからが今日最大の難所、標高差600mを一気に登る「タンボチェの坂」だ。


所々にお土産屋などもある 今日も快晴 谷まで下りてきた



昨日までの経験で、登り坂の厳しさはよく分かっている。急いでも何の意味もない事も分かっている。だから、初めからたらたらと登った。ゆっくりゆっくり、非常に遅いペースで。だからエミリアや他のトレッカーはもちろん、女性に子供、白人の老人グループにまでも抜かれて行く。内面悔しい気持ちもあったが、自分のペースを守ることが何より大切。無理に登ると、必ず体に反動が来ることは分かっていた。

ひと休みするポーター カンテガ
ひと休みするポーター
標高600差は結構高い
カンテガ
ナムチェ坂もそうだったが、ここも本当に見事に登りのみだ。
全く平らな道が見当たらない。標高3000mを越えているので、息を整えても歩き出すとすぐに乱れる。
空気が非常に乾燥している為、埃もすごい。人やヤクの群れが通る度に、ものすごい埃が舞い上がる。またヤクは、鋭い角を持っているので基本的には道を譲るのだが、気を抜いているといつ刺されたり、体当たりを食らって谷に落とされるか分からない。舗装された道でもないし、もちろん手すりもない。自分の身は自分で守るのが鉄則だ。

1時間もすると全身がボロボロになってくる。今朝からずっとタムセルクやカンテガが右手に美しく見えているのだが、それを眺める余裕がまったくない。とにかく少し進んでは休み、歩いては止まり、果てしなく続くように思える山道を無言で登ってゆく。

参考までに書いておくのだが、今回はポーターもガイドも雇っていない。ポーターを雇えば今担いでいる12kgあるバックパックを持たずに済む(一眼デジカメバックを除く)。ガイドは元々考えていなかったが、もし一人ならばポーターは付けてもいいかなとは思っていた。先にも書いたが一人歩きはできるだけ避けたかったし、何より面白くない。それに今思えばポーターを雇えば荷物を持たなくて済むので体力に余裕ができ、道中の写真をもっと撮れていたのかもしれない。それに山の名前やこの地域の文化など、色々学びながら歩く事もできただろう。白人トレッカーも半分ほど、ツアー客に関してはほぼ100%ガイドやポーターを連れている。
ただエミリアも言っていたのだが、人数が増えればそれだけ小回りが利かなくなる。悪い人間に当たればそれだけ面倒も増える。付けるか付けないかの選択は難しいところだ。





タンボチェの坂を登り始めて2時間半。非常にゆっくりとしたペースで登って来てはいたが、既にペットボトルの水は尽き、数歩動いては立ち止まらなければならない程体力を消耗していた。谷底から登ってきていたが、今は水の音どころか川すら見えない程だ。それでもまだ目指すタンボチェは見えない。

「もう勘弁して・・・」

本当にそう独り言をいいかけた時、小さな門が見えた。横の看板にタンボチェの文字が見える。12:30、合計5時間のトレッキングが終わった(タンボチェ:標高3867m)。先に到着していたエミリアが言う、

「少し休む?それとも宿探しに行く?」
「もちろん宿探しに行こう。早く休みたい」


タンボチェの街はすごかった。
何がすごいかって、前方にエベレストとローツェが一段と大きくそびえ、その横には尖ったアマダブラム、右手にはタムセルクとカンテガが大きく雪壁を成している。なんと言う贅沢な街だろうか。街でくつろぎながらこれだけの景色を堪能できるとは。普通にエベレストが見える、そう思うだけですごく興奮してしまう。

タンボチェの街
タンボチェの街
(左からエベレスト、ローツェ、アマダブラム)
カンテガとタムセルクが大きくそびえる タンボチェには大きなコンパもある
カンテガとタムセルクが大きくそびえる タンボチェのゴンパ


ここで初めて2人の日本人「個人トレッカー」に出会った。
2人とも別々に世界一周をしているとのこと。自分が諦めたラサも、3週間掛かったが強引に陸路突破して来たという。すごいものだ。
その他にも日本人のご老人ツアー。全てセットになっているとは言え、ここまで登ってくるのだからそれはすごいと思う。60歳になった自分ができるかと考えてみたが、あまり考えたくなかった。実際、今で精一杯だし。。

宿でお昼を食べ、体力も回復してきたので少し散策へ。
タンボチェには大きなタンボチェ・ゴンパが有名で、早速見学する。古いゴンパは火事により焼失したらしく今あるのは1995年に再建されたとのこと。それでもこの場所でこれだけの規模は中々すごい。
またここには1982年に日本人として初めて冬期のエベレスト登山に成功し、帰路に遭難死した加藤保男氏の慰霊碑もある。


タンボチェ・ゴンパ ゴンパ内 加藤保男氏の慰霊碑


夕方になり外に出てみると、ほぼ一面霧に包まれていた。思えばここは山の上。天候が変わりやすいのは当然だ。日が落ちると急に寒くなる。温度計では10度ぐらいだったが、体感温度はそれ以下だ。外にも居れないので食堂に向かう。



山での生活も数日が過ぎ、少しずつそのリズムが分かってきた。
朝は6時から7時ぐらいに起きる。朝食を食べて8時前にはトレッキングに出発する。基本的に歩けるのは午前中。午後は風が出てくるし、体の疲れも考えてあまり良くないようだ。従って1日に歩く時間は4時間から6時間程度に抑えるのがベスト。体が慣れればそれ以上でも構わないが、初めのうちはあまり無理をしない方がいい。

昼過ぎに宿を決め、体を休める。
この時に洗濯やシャワーを浴びる。ただし、洗濯は冷水なのですぐに手の感覚が無くなってまともに洗えないし、シャワーに至っては寒すぎてあまり浴びようという気にもなれない。もちろん体は汚れているのだが。

日が落ちると急激に気温が下がる。部屋には電灯がない所もあるので、基本的に皆自然と食堂に集まる。唯一ストーブがあって暖かいからだ。ここで食事をとり、21:00頃にはみんな寝てしまう。この食堂にいる時間が結構長く、もし1人でトレッキングをしているのならば相当退屈していたと思う。


タンボチェにはベーカリーもある 夜は食堂に集まってくる 夕食はチャーハン


お金の清算は、何か注文するごとにノートに記入してゆき、チェックアウトの際にまとめて支払う。ほとんどの宿でこのようなシステムを使っていた。

タンボチェからの星空
タンボチェからの星空
夕食後、星を見に行く。
素晴らしく美しい星空だ。天の川や流れ星がはっきり見える。一応写真に撮って見たが、どうもいまいち。それに寒すぎて10分と居れなかったので、すぐに部屋に戻った。



翌朝は05:30に目が覚める。レンタルしたダウンの寝袋は非常に暖かくて満足だった。ちょっと欲しくなった。。
昨晩辺りから少し頭痛がする。疲れと寝不足によるものだと思う。風邪気味のような症状だ。一応高山病の恐れもあるので、ダイアモックス(高山病の薬)を半錠飲んでおいた。

翌朝は07:30スタート。今日の目的は標高4350mのティンボチェ。そして今日はトレッキングで初めての曇りとなった。後方のナムチェ方面はすっきりと晴れているのだが、前方のエベレストやローツェはすっぽり雲に覆われている。曇り空の下でのトレッキングは初めてだが、かなり冷える。防寒着を一枚増やし、頭を冷やさない為に帽子も今日から着用した。

2時間半ほど歩くと、パンボチェに着いた。
ここで少し早めの昼食とする。昨日の日本人2人と一緒に食べる事になった。休憩すると周りの景色がよく見えてくる。美しい山々だ。歩いている時は全然気付かないのだが、こうして食事をしながら眺める山はまた一段と美しい。
1時間ほど休憩し、再び登り始める。


今日はやや曇り 橋を渡る つり橋を渡るヤク


しかし体の調子が悪い。頭痛はそれ程ではないのだが、鼻水と手足の痺れを感じる。こんなことはあまり経験がない。体の疲れはそれ程ではないのだが、何だろう?高山病の始まりなのか。どちらにしろ早く次の街、ティンボチェで休みたい。

標高が4000mを越えたようで、気が付くと辺りの景色も一変していた。
木はあるが膝ぐらいまでの低木となり、代わりに石や砂が目立つようになる。荒涼とした世界だ。風を遮る物がないので、風をまともに受け寒くも感じる。どんどんと人が住むには適さない場所へ進んでいる事を実感する。


高地だが川もある 低木と草のみの荒涼とした景色
低木と草のみの荒涼とした景色
天気は少しづつ回復してきた
高地だが川もある


ティンボチェまでの道は、昨日のような酷い登りはなく歩きやすい。だが、やはり高地の為ほんの少しの坂でも立ち止まり、休憩しなければならない。そして、

「そんなことよりも体調がおかしい。早く休みたい」

とこの時の日記に記されている。頭もクラクラするし、後で考えてもこの辺りの記憶があまりない。どんな所を歩いたのか、正直はっきりと思い出せないのだ。



昼を過ぎて雲が晴れ、大きなローツェが目の前に立ちはだかった時、1つの集落が見えた。この辺りかなり道がいい加減だったので、近くにいた少年に「ティンボチェか?」と尋ねると、「あれがティンボチェだ」と答える。
歩き出して6時間、ようやくティンボチェに到着した(4350m)。


ようやくティンボチェが見えてきた


ティンボチェは昨日のタンボチェよりもずっと大きく、宿のレベルも高い。かなり多くの数のロッジがあるので、疲れてはいるだろうがじっくりと宿は決めたい。

チェックイン後、少し休憩すると体調も回復してきたので、街の散策に出る。街の右手にはアマダブラムがこれまでの尖がった姿とは全く異なった表情で大きくそびえている。そして何といっても目の前に立ちはだかるローツェが素晴らしい。ローツェの街と言っても過言でない程、大きく見える。


ローツェ(8516m)が目の前にそびえる




カンテガやタムセルクといったこれまで目を楽しませてくれた山々は既に後方に小さくなっており、代わりにヌプツェ(7879m)やチュクン(5550m)と言った新しい山が登場する。ここティンボチェも、タンボチェ同様素晴らしい景観の街だ。


ティンボチェの街
チョルテンもある
形を変えたアマダブラム
形を変えたアマダブラム
ティンボチェの街


それにしても寒い。
気温もそれ程低くはないし日差しも回復して暖かいはずなのだが、風が氷のように冷たく体温を奪ってゆく。ここらまで来るともはやフリース程度の服では追いつかない。やはりダウン系の服が必要となってくる。

何枚か写真を撮り、1時間ほどで宿に戻る。
外出の前にダイアモックスを1錠飲んだのだが、依然からだの調子はよくない。手足の痺れもひかないし、頭痛もする。エミリアは疲れたと言って寝に行ってしまった。


今日の宿 室内 街には売店もある



今日は午前中曇っていたお陰で、夕方になってもほとんど雲が出ず、幸運な事に夕日に染まるローツェが撮れそうだった。
その後、しばらく食堂にいたのだが、ローツェがオレンジに染まり始めてきたので、17:00頃から約30分ぐらい撮影の為外出した。自分にとってはごく普通の行動だったのだが、実はこれが少し軽率な行動であった。


夕陽の染まるローツェ


写真を撮り終えて食堂に戻ると、右足の親指を除く4本の指の感覚がなくなっていた。触っても叩いても何も感じない。面倒だったので、トレッキングシューズを履かずにサンダルで出かけてしまったのだ。急いでストーブで足を温める。だんだん指に温かさは戻ってきたが、感覚は依然ない。
結局1時間ほどストーブで温め続けて、ようやく回復してきた。事無なき済んだのでよかったが、もしかしたら凍傷になる前の状態ではなかったのかと思うと本気で怖くなった。ここは既に標高4000mを超えた世界。自分が持っている常識はもはや通用しないのだと改めて思った。





夕食はダルバート。320ルピー(約420円)もしたが、健康な時に比べると確実に食欲がない。体調不良はまだ治らない。お代わりする為に頼んだダルバードだったが、何とか1皿食べるだけで精一杯であった。
一緒に食事していた白人男性の話も、最早うわの空。エミリアに会話を任し、先に休む事にした。頭痛が酷くなり、耐えられなくなってしまったのだ。

その晩は酷いものだった。
激しい頭痛に襲われ、全く眠れない。手足の痺れも感じるし、何故か夜中幾度もトイレに出かけた。寝る前にダイアモックスを飲んだのだが、どれだけ効くのかも分からない。眠れぬ床の中で「明日は下山しよう。高度を下げなきゃダメだ。」と決心していた。エミリアには悪いが、自分ひとりでも下山しようと思った。

体調を崩すと気が弱くなる。
美しい風景
美しい山の風景。
だけど美しい分、非日常的な世界でもある。
眠れぬ床の中で、「ああ、こんな所で本当にこのまま酷い高山病になったらどうするんだ。歩いてすぐ帰れる場所じゃないし、そもそも歩く事すらできるのか分からない。日本が遠い。。」等と弱気になってしまう。もしヘリコプターなど要請したら、40〜50万円は掛かるという。そんな金はない。
こんな山奥で、真っ黒な闇に包まれて横になっている自分が怖くなってきた。

大袈裟かもしれないが、今は生きる事への力が試されているような気がする。
高山病は死にも繋がる恐ろしい病気だ。物を食べ、薬を飲み、休み、また明日への活力を補う。今は、生き物として純粋に生きる力が試されているのだ。そしてこれから更に高度を上げて行けば、もっと苦しい状況になるだろう。それに耐えなければならない。でも冒険は死につながる。だけど今は自分の力を信じて、その道を行くしかない。


気が付くと明るくなっていた。
眠れたのか?時計は07:15を指している。どうやら少しは眠れたようだ。幾分頭痛も和らいでいる。ダイアモックスが効いたのか。昨夜は下山をしようと思っていたが、これならここティンボチェで休めば何とかなりそうだ。
エミリアが宿を替えたいと言い始めた。何でも大好きなMint Teaがないので気に入らないらしい。ゆっくりこのまま休みたかったが、宿の情報が増えるので移動することにした。

ちなみに今日、この旅に出て初めて下痢となった。食欲も低下しているし、吐き気も少し感じる。本当に高山病のようだ。
それにしても時計やカメラといった機械類は非常に、何事もなかったように動いている。人間とは本当にもろいものだ。

朝からずっと食堂でチャー(ミルクティー)を飲みながら座っている。
天気もいいし、日の当たる食堂はぽかぽかしていて気持ちいい。昼食までゆっくりして、午後からは本当は今日行く予定だったチュクンの中間にあるビブレまでショートトレッキングに行く事にした。ビブレは標高4570mとそれ程ティンボチェ(4350m)と変わらないので高度順応にはならないが、高地を歩くいい練習にはなる。


新しい宿 部屋の中 目玉焼きトースト(200R)とチャイ(50R)が朝食


昼過ぎには頭痛も随分よくなり、トレッキングに出掛ける事にした。
標高4000mの世界。背の低い木、石、そして雪山の美しい景色の中を歩く。アップダウンがそれ程ないので、楽に歩ける。2時間弱でビブレに到着。到着してちょっと驚いた。
何とビブレには茶屋が一軒あるだけの”村”だった。ちょっと笑ってしまった。チャイを一杯注文し、引き返す。


お昼はシェルパシチュー(180R) 茶屋が一軒のみのビブレ(4570m) チャイを注文


それにしてもここまで来ると日が照っていても風がそれ以上に冷たく、かなりの防寒対策していないと寒くて歩けない。更に夕方に近づくと、ガスが出てきてより一層寒さが厳しくなる。

ちなみに今の服装は、Tシャツ、長袖のシャツ、フリース、インナーダウンジャケット、ウインドブレーカーとかなりの重装備。下半身もズボンの下にももひきを履き、耳まで被う帽子、マスクに手袋という装備。首が寒かったのでマフラーがあれば完璧だったが、それでもまだ少し寒いぐらいだ。


低い木と草のみの世界
低い木と草のみの世界



夕食を終えた頃には、すっかり体調も回復してきた。これなら明日トゥクラかロブジェまで行けそうだ。
過信は禁物だが、何故かもう大丈夫なような気がしていた。



宿の食堂から雪山を眺める
宿の食堂から雪山を眺める
風を通さない食堂はぽかぽか暖かい。




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