最近愚息のバス好きが沸点に達しているらしく、常にバスのおもちゃで遊んでいる。話題も良く分からないバスの話を毎日のようにする。という訳で、一日中バスに乗りまくる日を作ることにした。 調べてみると名古屋の市バスは土日と8の付く日は「ドニチエコきっぷ」なるものが販売されており、これで一日市バスと名古屋地下鉄が乗り放題になるそうだ。購入は営業所などでも買えるそうだが、市バス乗車時に運転手から直接購入が一番便利とのこと。 ただ乗るだけでもつまらないので、名古屋で歴史を感じることができる場所を尋ねてみようと思った。残念ながら名古屋は戦時中の名古屋大空襲で多くの文化財が焼失。観光地でも魅力がない街に指定されてしまったが、その中でもネットで調べて興味がありそうな場所を選出してみた。 さて出発当日。 ちょっと雨が心配されたが何とか出掛けられそうだった。名古屋市バスも外れの方では運行本数が少ない。一時間に一本ぐらいだ。 最初のバスに乗車できたのが午前9時過ぎ。ゆっくりとした出発となった。 ちなみにドニチエコきっぷは運転手から購入後、最初の乗車に限り機械を通す。すると裏面に日付が入るのでそれ以降はバスの運転手に見せるだけでOK。地下鉄は改札を通して使う。
まず向かった(と言うより偶然通りかかって下車した)のが千種区にある「鍋屋上野浄水場と旧第一ポンプ所」だ。 ここは大正3年(1914年)に完成した100年以上の歴史を誇る現役の浄水場である。特に「旧第一ポンプ所」は建設当初から稼働し、平成4年(1992年)まで72年間稼働した歴史ある建物だそうだ。「近代水道百選」、「名古屋市指定有形文化財」にも指定されている。
重厚感ある建物だ。大正の香りがする。基本見学は無料だが、現役浄水場なので勝手に中に入ることはできない。事前の見学申し込みが必要だ。 ただ交差点に小さな公園がありそこのフェンス越しから建物は見える。正直ここら辺はよく車で通る場所だったのだが、こんな建物があるとは全く知らなかった。 ささっと見学を終え、この日の為に入れたアプリ「なごや乗換ナビ」で検索し次のバスに乗車。少しずつ日も出てきて暑くなってきた。 「徳川園新出来」で下車。次に向かったのは「徳川園」。ここも地元ながら一回も行ったことがない場所(笑)。 徳川園とは、1695年に尾張徳川家の徳川光友によって造られた日本庭園である。木曽山脈や木曽川、伊勢湾など尾張地方の自然を凝縮したものらしい。残念ながら名古屋空襲によって破壊されてしまったが、2005年に再び造営されたとのこと。 ん?2005年に再び造営!? まだ新しいのか。だからあまり知らなかったのか。まあいいや。足が痛いとかハラ減ったとかぐちょぐちょ言う愚息を引き連れて初めての徳川園に向かう。 まず出迎えてくれたのが大きな黒門。 国の登録文化財になっており、以前は尾張徳川家の名古屋本邸の正門だったそうだ。中々見応えのある。 門をくぐり左手にある庭園へ。 ここから有料エリア。チケットを購入して庭園を散策。橋や滝などもありちょっと暑いが散歩するにはちょうどいい感じ。
ただ、残念ながらあまり面白味に欠ける場所だ。 庭の素人で知識も何もないかも知れないのだが、ちょっといまいち。暑い中一生懸命掃除など手入れをされている方々には頭が下がるが、あまり魅力を感じなかった。それなりに外国人観光客はいた。紅葉の時期になればもっといいのかな。
徳川園でバス停を探していると、意外にも徳川園の中にバス停があった。 バス停に行ってみると市バス以外のバスがあった。その名も「名古屋メーグルバス」。名古屋を巡るバス?良く分からないが、バス停を確認すると名古屋市内の観光地を効率よく回っていることが分かった。 バス停によれば徳川園の次は、「文化のみち二葉館」。ちょうど行こうとしていたのでそのまま乗ることにした。このメーグルバスもドニチエコきっぷで乗れる。市の運営なのであろう。これは良かった。 メーグルバスはさすがに観光に特化したバスだけあってバスルートも効率よく巡れるし、車内も観光パンフレットやガイドの案内があるなど観光に便利なバスに仕上げられている。日本人も多いが、外国人観光客も目に付く。 さてバスに揺られながら「文化のみち二葉館」に到着。降りるとすぐに二葉館が現れた。 「文化のみち」とは徳川園から名古屋城に渡る一帯を差し、ここには江戸から明治、大正と名古屋の歴史的な建造物が保管されている。そのひとつがこの二葉館である。 二葉館とは「日本の女優第一号」である川上貞奴が大正時代に暮らしていた和洋折衷の建物である。 外見がもう見たまま和洋折衷である。
随分と可愛いらしい建物である。 中に入るか迷ったが愚息が入りたいというので入館。ドニチエコきっぷで安くなった。次のバスの時間もありほぼ10分ほどしか見学時間がないが受付で聞いたらそれでも楽しめるとのこと。良かった。 福沢諭吉の婿養子で電力王の異名をとる福沢桃介と、先の女優第一号である川上貞奴が一緒にここで暮らしたそうだ。まだまだ電気などそれほどは普及していなかった時代に幾つもの電灯や電気仕掛けの設備などを有した館だったらしい。 ステンドグラスに和室、曲がりくねった階段などとても素敵な家である。当時の優雅な生活が感じられるようだ。
本当に10分ほどで見学を終え、次もまたメーグルバスに乗車。 降りたのは次のバス停「市政資料館南」。実は名古屋の市政資料館、大正11年(1922年)に建設された名古屋の裁判所であった場所だ。昭和54年に中区に機能移転されるまで名古屋の司法の中心とされてきた。
赤いレンガと白の花こう岩が美しい、こちらも重厚な大正を思わせる建築物である。現在は平成元年より市の資料館として運営されているが無料で中を見学できるので、早速ハラ減ったとぐずる愚息を連れ入ってみた。 ひんやりとした空気が体を包む。入るとすぐに重厚な階段が現れる。 館内も自由に見学できた。幾つもの部屋に分かれており、昔の学校のような感じである。印象的だったのが地下にある拘置所。扉などは木製なのだが当時の雰囲気はよく出ていた。
ハラ減ったと騒ぐ愚息の為に昼食にしようと思ったが、この付近まともなレストランがない。コンビニでいいと言うのでおにぎりを買って食べる。食後、再びバスに乗り今度は名古屋城へ向かう。 地元柄名古屋城には何度も行っているのだが、2018年に公開となった本丸御殿にはまだ行っていない。日曜日なので混むかなと思ったが、ここもまだドニチエコきっぷで安く入れるので行ってみることにした。 市バスを乗り継ぎ「名古屋城正門前」で下車。 すぐに横にある「金シャチ横丁」の看板が目が入った。城などに全く興味のない愚息に、 「城か休憩かどちらがいい?」 と聞くと、即答で「休憩」と答えるので先に行ってみることにした。 「金シャチ横丁」とは、飲み食いする場所がほとんどなかった名古屋城の為に作られた飲食エリアである。伊勢神宮のおかげ横丁がモデルらしい。
ただ入ってみて思った。ああ残念スポット。 企画はいいと思う。観光地に飲み食いは絶対必要だし、名古屋城見学って時間もかかる。 ただ金シャチ横丁はいただけない。 まず小さい。両側にどうだろう4〜5件ほどの店がそれぞれに立ち並ぶ。あっという間に終わってしまう。しかも出ている店は名古屋めしなのだが、所謂チェーン店の支店。面白味がない。建物はすべて古風な造りで雰囲気は出しているのだが、全くどの店も入りたいと思わない。昔風の建物に名古屋めしをちょっと売ればいいと思っているのだろうか。企画は役人か? 改善案を提案。 まずもう少し広くする。少なくともイスやテーブルなどをもっと増やす。 そしてちょっと食べ歩きができるような数百円の食べ物を店外で販売する。がっつりも必要だが、ちょこっとずつつまみ食いをしながら食べ歩くのが楽しい。 そして可能な限り「祭り」のイメージを作り出す。楽しい縁日の。今は建物だけ立派な「官製レストラン街」のにおいがする。高いのはある程度仕方ないが、「楽しさ」がないのは致命的。今からでもいいから練り直してほしい。 結局500円のソフトクリームを購入(愚息、ほとんど食べず)して撤退。長居もできる雰囲気ではなかった。 気を改めて名古屋城へ。 入場券を買って久しぶりに入る。広い場内にはたくさんの人がいる。当然だが外国人も多い。足が痛いとぐずる愚息を連れて進む。 そして本丸御殿の入り口まで来て驚いた。
予想以上の完成度、そして美しさである。 立派じゃん。やるじゃん名古屋!何枚か写真を撮り、期待共にさっそく本丸御殿に入る。 入場前に色々と説明のビデオを見る。写真撮影は可能だがフラッシュはダメ。裸足はダメ。ボールペン使用はダメ。触っちゃダメ、などなど。ここも入場券に含まれているのは嬉しい。靴を預け先に進む。 素晴らしい。 本丸御殿を見学して思うことだ。復元とは言えここまで精工に可憐に、豪華に作られていることに驚いた。以下写真。
もともとは1615年に徳川家康の9男・徳川義直の住居として作られた。その後は江戸にいる将軍が京都への上洛の際の宿として使われたとのことだが、いやいや豪華絢爛。庶民だったら落ち着いて寝れんぞ、このレベルでは。 この本丸御殿も例に漏れず名古屋空襲で焼失してしまったのだが、幸いにも精密な資料などが残っていて復元が可能だったそうだがこれは本当に幸い。当時の技術の高さがよくわかる歴史資料である。 名古屋城の天守閣へは今は立ち入り禁止になっている。耐震補強がされていないそうで危ないとの事。まあ名古屋城は以前何度も入ったことがあるのでいいが初めて行った人などはちょっと可哀そうかな。
思った以上に良かった本丸御殿。今名古屋城の天守閣も木造の復元工事で色々話されているが、木造の復元には大いに賛成。これだけ素晴らしい本丸御殿の復元を見せられてはそう思わざるを得ない。 なお賛否両論はあるがエレベーター設置は反対。名古屋城天守閣を歴史的な資料として考えるなら不要であるし、アミューズメントパークとして考えるなら設置すればいい。厳しいと言われるかもしれないけどね。 名古屋城はこのほかにも色々見所があるが、今回はこれで十分。次へ向かうことにした。 と言ってもこのバス旅、結構疲れる。愚息もかなり疲れている様子。予想していたが歩きが多い。時間的にも次が最後かな。名古屋城前の長いバスの列に並びメーグルバスを待つ。 メーグルバスで一度名古屋駅に行き、そこから地下鉄東山線に乗り「池下駅」で下車。ドニチエコきっぷ、普通に地下鉄も使えてすごい。 ここからバスで「城山」下車。ちょっと間違えたのだがそこから歩いて向かったのは「揚輝荘(ようきそう)」と言うちょっと古い洋館である。 正直この揚輝荘に着くころには15時を回り愚息だけでなく自分自身もかなり疲れてきていた。それでも最後の目的地頑張って見学する。 揚輝荘は大正から昭和初期にかけて松坂屋の初代社長によって造られた別荘である。今は南部と北部の庭園などがあるそうで(行くまで知らなかった)まず入場無料の北部庭園から見学。 美しい橋や茶室、庭園などが見られる。順路がありそれに沿って見学する。
北園の次は南園へ。 言われた通りに歩いていくとここ揚輝荘を代表する建物が現れた。
昭和12年建築の聴松閣(ちょうしょうかく)。これがここ揚輝荘のシンボルにもなっている。 ここは入場料がかかる。ドニチエコきっぷでまた割引。使う人が少ないのか提示するといつでも驚かれる(笑)。 中にはボランティアのガイドの人がおり、まずは地下室を見学しろと言われた。 階段を下りていくと驚きと共に懐かしさがこみあげてきた。揚輝荘を営んだ伊藤次郎左衛門祐民は実は仏教にとても関心があり、実際昭和8年(1933年)に日本から船でカンボジアやミャンマー、そしてインドにパキスタンなどへ旅に出ている。 そしてこの地下空間にはそのたびで感銘を受けたアジアの仏像などが描かれている。
カンボジアのアンコールワット、ダージリンからのカンチェンジュンガ(ヒマラヤ山脈)、インドのエローラにアジャンター遺跡、同じくインドの仏教4大聖地ブッタガヤーにサールナート、クシナーラーやルンピニなど行ったことがある場所ばかり。 今の時代なら仏教好きのバックパッカー。同じじゃん!急に親近感が湧いてきた。まあ身分は違うけど。。 ボランティアのおじいちゃんがこの昔の旅について色々説明してくれて「知らない所ばかり行ってすごいだろうオーラ」がすごくでていたが、最後までほとんど行ったことありますとは言えなかった。でも懐かしかった。 2階3階は当時の経済界の社交場などがあったが、地下エリアの印象が強すぎてもうどうでもいい感じ。歴史的貴重な価値のある建物なんだが、やはりアジアの仏教画に惹かれてしまった。 でも生きているなら教えてあげたい「インドネシアにもすごい遺跡があるんだよ」って。タイ辺りの屋台でビール飲みながら。 揚輝荘を出ると16時近く。これで市バスで名古屋歴史散策も終了。 どうなることかと思ったが、丸一日かけて十分楽しむことができた。まだもう少し行きたかった場所があるがそれはまたこの次。最後のバスに乗り自宅へ戻る。 観光資源が少ない名古屋。やはり京都などの外国人受けする街とは違って巨大観光地はない。名古屋城天守閣が再建されればかなり見応えのある観光資源になると思った。 それでも小さな洋館などはバスで巡ったりすると地味に楽しい。観光客も少ない分、楽しめるかな。 ただ市バスの使い勝手は悪い。と言うよりとにかく分かり辛い。時間は正確なのだがとにかく細かすぎるし、停留所も同じ名前で方角によって乗り場が多すぎる。日本人でも混乱するのだから、もちろん外国人などにはチンプンカンプン。当然外国人はほとんどいなかった。これは改良の余地ありだな。 そして分かり易くするために小さくてもいいのでバスターミナルっぽい場所を増やす。停留所に英語表記を増やすなど。また個人的には値段が上がってもいいので名鉄も乗れれば最高である。 まあ何より疲れた。バスの本数計7本、電車1本。所要9時間。そして帰宅後のビールは何故こんなに美味いのか!
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